みなさん、どうも僕です。
大阪人や関西人と会話していて、話の終わりに彼らがよく付け足すワード、
それは
「知らんけど」という言葉。
普通に考えれば「知らないんだったら言うなよ」というツッコミが入るところですが、それは大阪人が持つサービス精神と情報収集スキル、そして会話の幅を広げることで人間関係を豊かにしようという意図と考えが垣間見えるとも言えます。
「知らんけど」を大阪人や関西人があえてブチこんでくる心理的要因と、大阪人の会話テクニック&コミュニケーション術についてお話しましょう!
Contents
大阪人&関西人あるあるのひとつ!日常的な会話終わりに乱発される「知らんけど」という言葉
こんな感じでやたらと乱発される大阪人の「知らんけど」。
「知らないんだったら言わなきゃいいのに」
「無責任じゃね??」
関西人以外ならきっとこう思うことでしょう。
たしかに責任回避とも取られかねない「知らんけど」と言うことにはちょっぴりリスクだってあるワケですよね。
普通に考えればそうなってしまうけど、知らないことを「あえて」言ってしまうのにはちゃんとしたワケがあるのです!
「知らんけど」の理由その1 未確認情報だけど相手にとって利益・メリットのある情報を伝えたいから
「知らんけど」を付け足して話す内容って意外に「それはそうかも」とうなづける内容であることが実はほとんどなんですよね。
都市伝説みたいなウソっぽい内容を伝える時に「知らんけど」は使われないのが事実です。
(ホントに信用できない内容なら「そんなワケあらへんがな」と即座にツッコミが入ります)
ただ、伝聞で人から聞いた情報で自分で裏を取ったわけではない場合、それを相手に伝えた上で情報を教えてあげるというスタンスを取るのが大阪人の優しさなのです。
「自分でちゃんと確かめてないから言わない」ではなく、
少し未確認でフワフワしたところもあるけど、今の話の流れ上コレをあなたに知っておいてもらいたいという場合の注釈的に「知らんけど」を最後の最後に付け足すというのが大阪人の会話スキル。
大阪人の根本って出し惜しみを嫌います。
「知ってるんやったら言うてーなー!」という会話が関西のあちらこちらで散見されます。
水臭いのが大嫌いで、知ってることを言わないなんてことは大阪人の辞書にはありません。
100%正しい情報でなくても、6、7割合ってれば、そして相手に役立つ情報ならどんどん言ってよ!というスタンスなのです。
逆に言えば、絶対間違っていない完全に正しい情報以外は相手に伝えないというのは、ある意味自分のことしか考えていない保身でしかありません。
自分の保身以上に相手にとって有益な情報、役に立つ情報、そしてその場の会話の幅を大きく広げる「余談」的なプチ情報をも提供してあげるというのは大阪人のサービス精神の現れと言っても過言ではありません。
もちろん、もらったものは返すという考えですから、お互い自分の持ってる情報を相手に伝えて、おしゃべりな大阪人が別のところに言ってそれを話することにより情報が口伝えに広がっていくのが常です。
わざわざ裏を取ってない情報を教えてあげるなんて大阪人っておせっかいと言えなくもありませんが、自分の保身より相手の利益を優先することにより自分の価値を高める大阪商人に息づく古来の考え方が現代にも繋がっているのです。
知らず知らずのうちにWin-Winを築いていくという、大阪人独特の、会話や伝聞を介した情報収集スキルが如実に結集されている言葉、それが「知らんけど」というワケです。
「知らんけど」の理由その2 「てへぺろ」と同じく尊敬のまなざしを恐れる照れ隠し
大阪人や関西人というのは「いい顔」をしたがる東京の人間とは根本的な部分で違います。
お笑いの特徴でも、東京の笑いは「人をイジって笑いを取る」笑いが長年もてはやされてきました。
時代とともに東京の笑いも変わりつつありますが、ビートたけしやヒロミなどに代表される人をコケにして笑いを取る笑いがかつては主体。
それに代表されるように東京人や関東人はなにかと他人にマウントを取ることにより自分が上位に立ち、自分自身に「箔をつける」スタンスが多いように思います。
対して大阪人や関西人はどうかというとお笑いも対人関係も「自虐」が基本の文化。
吉本新喜劇ではいかに自分をさらけ出して笑いを取るかが基本となっていて、他人のボケに対しては自らコケるという「自分をおとしめて笑いを取りに行く」姿勢がメインになっています。
そういった大阪の笑いにも似て、大阪人や関西人は自分が上に立って自ら権威を振りかざすのを良しとしない特徴があります。
首都東京に対して上方の関西。お金持ち球団で無敵の読売ジャイアンツに果敢に挑む「反逆児」、阪神タイガース。
大阪や関西という場所は権威にたてつくことを嫌う風潮が根強いです。
このような他人に対するスタンスは大阪人の会話の中でもよく垣間見えて、他人に対して偉そうにしないことが美徳とされています。
先ほど、「知らんがなと付け足して話される情報は意外に正しいことが多い」ということをお伝えしました。
他者との会話の中で、もっともで正しい情報をズバリと言ってしまうと「へぇ~スゴイ」と思われてしまい、思いがけず自分が権威の主体になってしまうワケですよね。
大阪人はそれを嫌うために、実は間違いの無い真実であることは明白だけど、相手が知らない情報を言ってしまって相手から尊敬のまなざしを受けそうになった時に、ひとつの照れ隠しとして「知らんがな」を自己防衛のために言っているワケです。
まぁ言ってしまえば「てへぺろ」みたいなもんです。
真実というのは誰も覆しようもない事実なんだけど、「へぇ~って思われたくて言ってないよ」という思いから体裁を取るために「知らんけど」という曖昧な印象をあえて与える言葉を付け足して場の緊張を和ませているワケです。
大阪人が会話で欲しいのは笑いであり、話による和み(弛緩)なのであり、権威やその場の強ばり(こわばり)ではありませんからね!
知識をひけらかしたようになってしまった会話の雰囲気を、「知らんけど」の一言で一気にふんわりさせるその魔力がこの言葉にはあるんです!
まとめ
「知らんけど」という言葉の効用と魔力についてお伝えしましたが、大阪人がなにより自分が受ける尊敬の念以上に会話を楽しみ、場を和ませて、なおかつ相手に有用な情報を伝えることを優先する姿勢がよくわかってもらえたのではないでしょうか。
「知らんけど」は大阪人の良心の表れであり、大阪商人の時代から息づくWin-Win精神が結集された付け足し言葉だったのです。