「嫌われる勇気」を読んでみた!アドラーに学ぶ自分本位に生きる方法とは?!

みなさん、どうもボクです。

少し昔の話ですが、TBSラジオで深夜やっていた「雨上がり決死隊べしゃりブリン!」というラジオ番組で「知らんがな!」のコーナーってのがあったんですよ。

思わずツッコミを入れたくなる独り言をリスナーから投稿してもらうコーナーで、こんな感じ。

オレ、靴は右から履くねん!
知らんがな!

 

ま、こんな感じで延々と、ある種「自分勝手な」独り言にツッコミを入れていくコーナーですごく面白かったんですけど

思えば、人の人生なんて、「知らんがな!」の連続じゃないですか??

他人が聞いてて「知らんがな!」と思ってしまう本音というのは、自分以外の人間には必ずしも理解されないものなんです。

それなのに、社会生活の中で他人の目を気にするあまり、むき出しの本音や自分の欲望を無意識にシャットアウトしてるんですよ!

そんな「自分」を続けていて本当に幸せになれるの??

一体、誰のための人生を生きてるの??

たとえ他人に理解されず「知らんがな!」ってツッコまれようが

もっと自分勝手に、欲張りに自分のやりたいこと、やってみたらいいんじゃね??!

今日は「嫌われる勇気」を読んでみてわかったこと、自分本位に生きる大切さについてお話ししていきたいと思います。

 

他者との比較ではなく自分の理想とのギャップこそが「劣等感」だ!

人間って社会で生きる動物・・ですよね?

会社、地域社会、学校、サークル・・いろんな集団との繋がり。

わたしも学校を出て社会へ出て一般企業でサラリーマンとして生活してますけど、様々な集団の中でうまく取り繕おうと必要以上に「自分」を出すことにセーブしている・・・そんな自分に気付いてしまったんですよね!

慣らされてしまってるというか!

他人への気遣い、集団との調和を取ることは現代社会に生きる人間としては必須のことですよ、たしかにね。

でも、必要以上に他人の目を気にする必要は本来無くって、自分の幸せややりたいことを優先させるべきなんですよ!

なのに、それが出来ないというのは

あまりにも自分という「個」を抑えすぎ、他人の尺度による「幸せ」や「成功」のイメージにとらわれて、がんじがらめになっちゃってるんじゃないの??

そう思うんですよねぇ。

東京の世田谷の一軒家に生まれ育ち、開成高校を経て東京大学に入り、外務省を定年まで勤め上げて、外郭団体に天下りして悠々自適に余生を過ごす・・

果たしてそれが誰にとっても望むことなんでしょうか・・

所詮、世間によって勝手に作られた成功のイメージでしか無くって、「あなた」の幸せの青写真はあなたの心の奥底にしか無い・・

そうじゃありませんか??

 

アドラーは

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

とも語っています。

劣等感が必ずしも悪いわけではなく、理想の自分とのギャップを自己実現のための「やる気スイッチ」に変えればいいわけで、あくまで尺度が自分自身じゃないとダメというわけです!

 

B型人間は「自己中心的」??空気を読んで幸せになれますか??

何を隠そうわたしはB型です。

B型って世間一般的なイメージで言うと「自己中心的」。

いや、まさにかつてのわたしはそのイメージどうりの人間でした。

しかし学校や会社、様々な集団生活の中で「空気を読めよ!」という暗黙の了解的なルールを次第に感じ取り、次第に「自分」というものを引っ込めるようになり、周りの目ばかり気にするようになって、行き着く先は

優柔不断!

他人の評価基準や考え方に頼った判断しかできなくなっていたんです!

誤解のないように言っておくとB型の人間ってのは自分に正直にこだわりを持って生きている人が多いわけで、なにも周りに迷惑をかけるというわけではありません!

他人に迷惑をかけてないのであれば、なんで他人の目を必要以上に気にしないといけないのか・・

そう考えると、ピュアなB型の人間ってのが一番貪欲に自分の幸せを追求できる人間の理想形って言えるわけです!

 

なにかと「空気を読め!」と言われる日本社会。

「空気を読む」ことがそもそも人間的に出来た人間なのか・・

空気を読みすぎる人間って、結局自分の「我」を通せない・・

タダのカラクリ人形じゃねーの!!

そんなんじゃ幸せなんか掴めっこありませんよ!

 

アドラー心理学を書いた「嫌われる勇気」を読んでみた!

そんな幸せの探し方すら忘れてしまっていたわたしが手に取った本、それはコチラ!

アドラー心理学を書いた「嫌われる勇気 -自己啓発の源流「アドラー」の教え」

「嫌われる勇気」とはタイトルからして刺激的ですね。

アドラーは「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という大前提のもとに、「自由とは他者から嫌われること」と定義づけて説明しています。

つまり、人間社会に生きていく中で、自分らしく自らの幸せを追求するとなれば、他人の意に沿う幸せではなくなる。

結局、あくまで「自分本位に」幸せを追求することとなり、他人に嫌われることは必然・・そう説いているわけです。

そもそも自分のことを嫌うかどうかは他人の課題であって、自分のことを嫌いと思っていようがその人(他人)に介入することはできない・・

他人がどう思おうが知ったこっちゃねー!!

人生とは自分自身の人生を全うすることであり、他の誰かの人生を生きるわけではないんですからね。

 

承認欲求を求める人生に成り下がるな!

アドラーはもうひとつ、「承認欲求を求めるな」と説いています。

他人の評価によってしか自分の価値を感じられない人間は不幸であり

自分はコレでいいねん!

って自己完結的に自分の価値を感じ取ることが必要だというわけです。

 

わたしは以前からスゴいなぁと思ってるのが、お医者さんでアフリカの紛争地域などに行って救助活動をしている人たち。

お医者さんって日本にいればステータスもあれば、一般人以上の収入も得られます。

なぜ、あえてその待遇を投げ打って危険とも言える地域に行くのか・・・僕みたいな凡人では、ちょっと理解できないところもあったんです。

ここはわたしの憶測ですけどね、彼らの心の中にあるものって

「困ってる人を助けなきゃ!」

という思いひとつと思うんですよね。

人道的な事業にたずさわるのは、「良いことやってる人だなぁ」って思われたいわけでもなく、帰国後賞賛されて大病院の院長に抜擢されるためでもない・・

困ってる人たちを医療で助ける、それを実際に行動に移している時点ですでに満足であり、やりたいことの実現=幸せに繋がってると思うんです。

もうそこには他人の評価とか「見返り」はどっかにすっとんでて、貢献しているという感覚(貢献感)が幸せややりがいになっている。

 

「行動による成果」ではなく、自分が誰かを助けているという実感さえあればそれで十分という感覚。

そういう境地にたどり着くには長年の人生で無意識に身につけてきた「既成概念」がジャマになってきます。

それをまず取り払って、もう一度真剣に自分と向き合い、自分の価値を感じられるように残りの人生を歩んでいきたいですね!

 

まとめ

より多くのお金を稼ぐこと、大きな家を建てること、有名になること・・こういったことは本来の意味での幸せに繋がるわけではありません。

わたしにとってはどんな家であろうが、家族仲良く、ワイワイと楽しくトランプでもしながら過ごす時間・・こんなイメージが幸せそのもの。

他人がどう思おうが、自分がその価値を感じ取り、本当の意味での幸せを感じなければ意味がありません!

それを気付くのに遅すぎるってことはないので、アドラーの考え方も少し参考にしながら、自分の本当の幸せを手に入れたいと思います!

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