みなさん、どうも僕です。
古代中国の賢人である孔子は「四十にして惑わず」と語ったそうです。
わたしも40歳を回りましたが、人生の悟りなんか開けるわけもなく、相も変わらず迷うことばかり。
どのように生きていけばいいのか、どうすれば幸せになれるのか・・いまだに模索中で手探り状態、というのがホントのところ。
わたしが人生のなかで悪戦苦闘している時、いつもなぜか頭に浮かぶのは中学校時代に教科書で読んだ「車掌の本分」というお話。
「本分」とは何か、生きがいって何だろう・・そんな思いを代弁してくれているかのようなあの話が30年ほど経った今も、なぜかフト脳裏に浮かぶんです。
今日はそんな人生の真意をついたお話、「車掌の本分」が教えてくれた人生にとって大切なことについてお話したいと思います。
国語の教科書に載っていた「車掌の本分」とはどんな話か?
舞台はとある遊園地。
訓練されたサルが自らの手で運転する「モンキー・トレイン」は園にやってくる子供たちの大人気の乗り物。
その「モンキー・トレイン」に乗り込むのは若いサルの運転手と年老いたサルの車掌。
列車の先頭で車両を動かす「運転手」と、列車の後ろから安全な運行を見守る「車掌」は厳しい訓練を受けたおかげで、ものの見事に首尾よく列車を運転していました。
物珍しいモンキー・トレインは瞬く間に人気が人気を呼び、それまでは閑散だった平日でさえたくさんの子供が押し寄せる事態に。
「おもしろかったね、おもしろかったね。」
「おサルさんなのに、なんでもできるのね。」
園はこの増え続ける「需要」に答えるべく、5両だった「モンキー・トレイン」の車両を10両に。
それでも増え続ける客をこなすことはできず、10両は20両に、そして最終的に30両編成の列車になり、サルたちの乗務時間も長くなる一方。
しかし、ここで問題が。
円周にぐるっと敷かれた路線ですから、長くなりすぎた列車はアルファベットの「C」のように、あたかも車両の先頭と後ろが繋がっているかのよう。
本来、列車の最後尾にいて、後ろから安全な列車の運行状態をチェックしている車掌の背中を運転手が見ているというおかしな状況が・・。
「しかし、一つだけ我慢のできんことがある。車掌としての誇りにかけて、どうしても辛抱のできなことがある。」
「運転手がわしの後ろにいる。これはどう考えても、わしに対する侮辱としか思えん。」
人間によって手懐けられた(てなずけられた)はずのサル。
ご褒美と罰によって条件反射で動いているはずのサル。
ですが、頑固者の車掌の爺さんサルはそうはいきません。それじゃ納得がいかないんです。
「こうして列車の最後尾から車内をまっすぐに見つめている。
何か事故はないか、客に病人でも出やしないか。
そういう注意を払ってまっすぐ前を見て胸を張っている。
それが車掌の本分というものだ。」
最後尾から安全を見守るはずの車掌からすれば、あたかも運転手よりも前に車掌がいるような今の状況はまさしく異常事態。
「本分」を全うできない悩み・・。
乗務を終えた2人のサルはいつもどおりご褒美のバナナが与えられましたが、車掌の爺さんサルは食べることを拒否します。
「わしは仕事をしなかった。車掌としての本分を尽くさなかった。
だから、この報酬を受け取るわけにはいかんのだ。」
車掌の爺さんサルは思い悩み、そうしてとうとう乗務を促す合図がいくら鳴ろうとも、車掌のサルはピクリとも動かなくなります。
激務を強いたお陰でノイローゼになってしまったと騒ぐ園の人たちを尻目に、爺さん車掌サルは「問題の本質はそういうことではない」とつぶやきます。
そして、車掌のサルはアフリカの大地に、どこまでもまっすぐに伸びるレールの上を走る列車を頭のなかに描きます。
そして広大なアフリカを走る列車に乗るシーンを思い浮かべながらこう考えるのです。
「わしは死ぬまで本分を尽くすだろう・・・・。」
人生で一番大切なのは、本分を全うし、誇りを持って生きること!
われわれ人間は日々生活をするために汗をかき、働いています。
お金を稼ぎ、より良い生活を求めて、日々あくせくと。
でも、われわれの求めていたことって
「お金を稼ぐ」、「いい生活をする」、「他人より抜きん出る」・・
そんなことでしたっけ??
銀行員が偉くて、工事現場のガードマンは大した事ない・・
ホントにそうですか???
本当に大切なことって、どんな仕事であれ、自分のしている仕事が誰かの、あるいは何かの役に立っていて、その実現のために自分が精一杯頑張っているという事実。
そういう実感こそが自分の誇りに繋がっているんじゃないですか??
人は利益や効率性を追求するあまり、本来の自分とはかけ離れたところに身を置いてしまいます。
「結果さえ良ければ、お金さえ儲けられれば、それでいいや!」なんて、安直な考えしか持てない人間に成り下がる。
「物分りのいい」周りの人間達に馴染もうとするあまり、本来の自分を見誤って、「これぐらいでいいや」と妥協してしまう。
打算的な「帳尻合わせ」の人生・・。
でも、心の奥底では、「そうじゃない・・本当はそうじゃないんだ!」って思ってるんです、誰だって。
いつか見た遠いの日の炎は、今も心の中で今もくすぶってるんじゃないですか??
あの頑固者の爺さん車掌と同じように。
もし、「四十にして惑わず」というなら、人間性が確立するというのならば
今こそ本来の自分に立ち返り、「本分」を全うする生き方をしたい・・
車掌の爺さんサルは身をもってそれを教えてくれているような、そんな気がしてなりません!
まとめ
条件反射によって動いているサルはまさに現代社会で生きる人間そのもの。
合図が鳴れば何も感じることなく反射的に行動する・・意に反していようが、いまいが、お構いなしに。
でもそれじゃあ「本分」を全うできない・・
「もらえるバナナが少なくてもいいから、本分を全うできる仕事を!」
報酬が多い少ないということよりも、誇りをもって生きることを選択したい・・・
車掌の爺さんサルはシンプルだけど、一番大事なことを教えてくれているような気がします。
[…] あらすじはこのサイトが素晴らしかったのですみませんが勝手に引用させてもらいました。 […]