みなさん、どうも僕です。
いやぁ、映画「君の名は。」が相も変わらず大人気、熱狂ぶりが日本列島を覆ってますよ!
もうね、日本人全員が前世とか運命だとか、いろんなことを考えたりしだしてるんじゃないかなぁ、なんて思います。
ただですよ・・・
人生には、人の命には「尊い何か」があるだの、「何か意味がある」だの
まぁ、自分自身の思考によってそこにたどり着いたのならともかく、それを押し付けるのって
ちょっとばかし荷が重い話なんじゃねーの?!
って私は思ってますよ。
人生観はもちろん、人それぞれ。
「こう生きよう!」「こう生きるべきだ!」「この世で良い行いを!」
う~ん、こういったこわばった思想、ちょっと苦手です!
目の前のことを「ありのまま」に受け止めて、シンプルに人生を生きる・・
それじゃダメなんでしょうか?もっと人生に「意味」を感じたほうがいいんでしょうか??
今日はそんな話をすこししてみましょう。
Contents
映画「君の名は。」が投げかける「前世」や「宿命」っていったい何?
霊感の強い人VS霊感がない人
わたしの知り合いにね、霊感の強い人がいるんですよ。
なんかしゃべってる時にも「はい、今、人が通った!」とかね、いや人なんていないですよ!
見えるんですっって!人が。つーか、霊??
いや、わたしは霊感に疎い人間で、それこそ金縛りにあったこともなければオヤジ狩りにあったこともないんですけどね(え?それは違う)
その霊感の強い人が会うたびに「前世はね・・」だとかいう話だとか「人生ってのは修行だからね」なんてことを言うわけです。
ま、そうかも知れませんけどね。
映画「君の名は。」で投げかけていた「前世」や「宿命」って、捉えかたが結構難しいような気もします。
前世や人生に対する見方は人それぞれ!じゃダメなの??
ただ、わたしのような霊感に超疎くて、現世に染まった下世話な人間からすると、そういうことを言われてもなにかピンと来なくて・・
いや、わたしだって人間ってのはそれ自体でもって存在する生き物じゃなくって、なにか人間が認知し得ないパワーを持った「何か」に生かされてるんじゃないか・・その「何か」って漠然と神様なのかもしれない、ぐらいの感覚はありますよ。
いくら無宗教、ノンポリシーの人間といえどもね。
ま、しかし、さっきの「霊感の強い人」の話じゃないですが、
「前世がどーの」「来世がどーの」「宿命とはどーの」ってね・・
って思うときがあるんですよね、正直。
いや、さっきも言ったようにこういったことって自分が探究してその結果としてたどりついた境地がそうなら、もう他人がどーのこーの言うことじゃないわけです。
ただですよ
その感覚がない人間にそれをタラタラ説教したところで伝わらんし、「いや俺、自分で考えるから!」って話なんですよね。
さっきの「霊感の強い人」に「う~ん、そういうのちょっとわからないんで・・」なんてちょっと否定的なという態度を示したら
「あなたはかわいそうだ」
なんて言われましたけど。
悪かったですね!どーせわたしは現世にまみれた下世話な凡人ですからね!!
これってうつ??自殺さえチラつく青春時代
大学時代に人生に悩み太宰治にハマる
かくいうわたしも大学時代、なんかくすぶってましたねぇ・・
勉強をして大学に入ったものの、やれテニスサークルだ、合コンだ・・なにか浮ついた感じ。
慣れ親しんだ友達が多かった高校時代に比べて、日本全国から集まってくる学生たち・・
超人見知りで人の輪に入りきれない自分・・
なんだこりゃ、大学って楽しいのか・・
ま、そんな感じでしたね。
さんざん勉強してきて「上がり」(ゴール)がこれかよ・・なんて途方にくれて、なにかのきっかけで太宰治の本を読みふけるようになりましたね・・。
ハマりましたねぇ・・しかし・・
暗いわね、太宰はね(笑)
いやぁ、どうしてたんでしょう、わたし。
なんてったって大阪から寝台列車に乗って、青森の金木町(現:五所川原市)にある太宰治の生家にも行きましたからね。
出典:太宰ミュージアム
当時、太宰の生家は「斜陽館」と呼ばれていて泊まることができたんです。太宰ファンにはたまらん「聖地」だったんですよね。
そこにわざわざ大阪から行く・・それぐらい人生に行き詰った感じがあったんだと思います。
キレイな生き方なんてできない!生きりゃいいじゃん!
ま、その時期には「おれの気持ちがわかるのは太宰だけや!」なんて境地でしたし、たぶん相当病んでたんでしょうね。
それこそ、気が滅入りだすと「生きてても仕方ねーや」そんな境地になるもんです。
ただ、このままじゃアカンなと思うんだけど、なかなか負のスパイラルに入り込むと抜け出せないんですよね。
思い悩む時期が続きましたが、転機があって、「あ、これで生きていける」って思ったのは「もう色んなことあきらめちゃおう!!」って思えるようになってから。
「キレイに生きるなんて無理!」
「人から羨ましがられる人生じゃなくっていいやん!そんなもん、知ったことか!!」
そういう境地に辿り着いたときですね。
人間って死んだら終わり!生きなきゃいけない。
もうそうなったら「素晴らしい人生」も「意味ある人生」もあったもんじゃないですよ!
もうね・・
見栄えが悪くても、みっともなくても「とにかく生きる」!
そういう心意気ですよ!悪いか!!
日本は年間3万人が亡くなる自殺大国だ!
日本ってね、今、年間3万人が自殺で亡くなっているそうです。
これは先進国でダントツ!
しかも自殺をする人の年齢層が、たとえばアメリカだと中年~高齢者が多いのに対し、日本は若者など若年層、働き盛りの年代に多いんですね!
いやぁ、これを聞くと
日本ってなにが幸せな国だよ!!
って思っちゃいますね~。いや、全然幸せじゃない!
学校や世間様は
「よりよい人生を!」とか「素晴らしい人生を!」
なんてのたまってらっしゃいますけどね!
もうね、私はね、人生について思い悩む人に対してはただシンプルに
ただそう言いたい!
「素晴らしい人生を!」とか無意味な、むやみな重荷を乗っけるな、と!
平凡な人生を過ごすことは「非凡」である
調和を重んじるあまり生きづらい日本という国
日本人って調和を尊重する国、ですよね~。
ま、そこを悪く言うと
「出る杭は打つ」「目立つことはよくない」「おりこうさん大好き」「変わったやつに厳しい」
こういったことが言える国なのかな、と。
ま、仕方ないですかね~江戸時代には五人組なんていう制度があって、お互いに詮索し合って、誰かが悪いことをしたら連帯責任を負わされてたわけですもんね~。
誰か突拍子もないことしたらダメなんですよ!
もちろん、こんなことやってたら江戸時代なら市中引き回しの上、打ち首獄門ですからね!
画一的な学校教育が幸せな人生の理想像を押し付ける
日本の学校教育の制度もそうですが、ステレオタイプな人間を作ることに主眼が置かれているような気がします。
たくさん勉強して、いい大学に行って、年収1,000万円以上もらって、家を建てて・・それが幸せになると。
ま、それを言うとね、40歳を超えたオッサンに言わせればですよ、
年収1,000万円で裕福感が全くない上に日々くたびれてる不幸な人生を送ってる人も知ってますし、
年収400万円だけど家族み~んな仲良くて、仕事も楽しくやってて、人望があるから常に楽しそうな人生を送ってる人も知ってます!
だっからさぁ~、いい加減「年収」とか「地位」とか「学歴」とかもうそういった指標ではかるのはやめたほうがいいんじゃねーの!って話ですよ。
これ、社会的な「尺度」なのか「指標」なのかわからないけど、
幸せの指標じゃないですからね!あ~りませんよ!!
日本は幸せな国なんかじゃない!
日本って経済大国だし、社会保険制度も充実してるし、いい国だよね~なんて言われてますけど、ホントにそうなの??って思います。
女性が働きに出るって言っても子供を預ける保育園すらままならず、どんどん年金が削られ、シングルマザーの家庭は困窮を極め、若者がどんどん自ら死を選ぶ・・
こんな国、幸せじゃないやん!!!
いや、こういった状況って日本で珍しくないですよ!あなたが知らないだけ!
お父さんとお母さんが揃ってて、たまに外食に行ったりするし、学校にも普通に行けて、着たい服も着れる・・
こんな平凡は全然「あたり前」じゃないですよ!
平凡な人生を送れるって「非凡」なんですよ!!
「rest of my life」残りの人生をあるがままに受け入れ、楽しめばいい!
「残りの時間」を精いっぱい生きる
「rest of my life」
英語にはこんな表現があります。直訳すると「人生の残り」、そんなところでしょうか。
これから一生ってことなんでしょうが、「残りの人生」というのはなかなか日本語では無い表現で新鮮に感じます。
人生が「残り」だなんて日本人からするとちょっと違和感があるかもしれません。
いろんな偉い人が「人生はこう生きるべきだ!」って説いてますけどね、わたしは
人生ってしょせん与えられた時間、残りの時間をどう生きるかってことじゃねーの!
って思ってますよ。
こうやってブログを書いてる時間すらも、棺桶に足を突っ込むまでのカウントダウンを続けている・・
そうシンプルに考えれば「あ、残り少ない人生だから自分の好きなことやろう!」とか「家族と末長く仲良くやりたいよね!」なんていう自分なりの視点でのやりたいことが見えてくるような気がするんですよね。
無理やり人生に意味を持たせる必要はない!
もちろんね、そこは人それぞれだから
「だらだらテレビゲームやりたいし、ゲームソフト買うために働いてるだけ」っていうのもありだし
「嵐のおっかけに命を懸ける!」っていうのもあり。
いや、いくらどう生きてもいいって言ってもオッサンになって名神高速道路で全裸でコードかじる人生だけはダメですけどね!
人生はホントにさまざま。
どんな生き方があってもいいし、無理やり人生に「意味」や「宿命」を感じないといけないってことはないはず!
眉間にしわを寄せて「人生に意味を感じろ!」「宿命を信じろ!」っていうこわばった空気が特に若者の心を縛り付け、逃げ道を失わせてるじゃねーの!!
そう思いますね。
まとめ
他人の意見を鵜呑みにした価値観は意味を持たず、重荷になるだけと思います。
無理やり人生に意味を持たせようとしても、それはただの「重荷」でしかないです。
「川の流れのように」自分の直感に身を任せ、人生をしなやかに「泳ぐように」生きるのもひとつの生き方だと思います。
「前世ブーム」にケチをつけるわけじゃないけれど、頭で考えた「あるべき人生」ではなく心(マインド)が強く願う方向へ身を委ねることが自分の幸せに繋がる・・そんな気がします。
①自分のやりたい事をやって生きていく
②他人に無理やり価値観を押し付けない
③他人の評価に囚われない、逆に他人をジャッジしない
これって実はスピ系の動画でも言われている事ですよ(笑)
霊能力がどうのこうのと言った、能力的なベクトルと
人の生き方在り方についての指南についてのベクトルは
全くの別物です。
私的には、上記の事に付け加えるとしたら
①自分さえ良ければ、他人や地球環境にしわ寄せを
押し付けても構わない。
②バレなければ裏で何をしても構わない。
が無くなればかなりこの世界も自由で生きやすくなると
思うんですけどね~。
(※まあ、①も②も拡大解釈すれば、一方的に相手や周囲に何かを
押し付けている、と言う状態なので、価値観や正義感の
押し付けと本質的には一緒ですね)
皆にとって生きやすい社会であれば、翻って自分自身にとっても
生きやすくなると思います。
で、こういう事を言うと、じゃあ自分が我慢しているんだから
お前も我慢しろ的な事を言いだしたり、ワシが若いときは~とか
言い出す人が必ず居ると思うので先に言っておきますが、
相手と他人は本質的には同等であり、上下関係も偉いも劣るも
ありません。
したがって自分が楽をして、かつ周囲にもデメリットが
出ないように、あるいは周囲にも恩恵が出るよう、
創意工夫やアイディアを出すのはOKですが、
自分だけが我慢したり、逆に自分が面倒くさい事を相手にうまい事
押し付けて自分だけが楽をする、というのはどちらもNGです。
あとは支配と依存の関係ですね。これも上記の事が理解できれば
自然と解消するはずなのですが、依存する事が楽だと感じる人たちと
支配することが病みつきになっている人たちが居るので
中々この世の中は良くならないのだと思います。
また、自分にとって悪影響があるもの(政治で強権可決される
悪法)は大いに批判して構わないのですけど、芸能人の
スキャンダルネタみたいに、結局のところ自分の人生に影響を
与えないものにまでギャーギャー騒ぎ立てるのはどうかと
思います。
どうもその辺りも分別が付いていない人が多いように見えます。