みなさん、どうも僕です。
われわれは社会生活の中でハンディキャップを背負い、あるいは負担を強いられながら懸命に生活している人を目にします。
弱い立場を強いられている人に対して積極的な支援を行うことももちろん大切ですが、場面によっては何もせずとも、「あえて平静を保ってあげる」ぐらいの気遣い、心遣いだけでもあればいいなと思う今日この頃です。
最近体験したこと、感じたことをつらつらと書いてみました。
ハンディキャップを持っている人が「奇声」を上げていたら、あなたはどうしますか?
先日、わたしが家族と一緒に行楽地へ行った際に乗ったバスの車内での話です。
行楽地までバスで30分ぐらいの行程でしたが、精神障害を持っているであろう20代ぐらいの男性とその家族も同乗していました。
この家族もどこかへ行く途中だったのでしょうが、そのハンディキャップを持っている男性も気分が高揚していたのか、道中、ほぼ絶え間なく声を上げている感じでした。
付き添っているお父さんと思しき中年の男性も「静かにね」と度々声を掛けていましたが、そこはなかなかおさまりません。
まぁ、こんなことって特に珍しくありません。悪気があって声を上げてるわけじゃありませんし、たまの外出ならちょっとぐらい気分が良くなって当然でしょう。
ほとんどの人が平静を保っていましたが、バス車中の後ろのほうからどこかの男性と思われる声でボソッと
「もう、うるさいなぁ」
という言葉を発したのが聞こえました。
普通の人が騒音を立てているならいざ知らず、ハンディキャップを持たれている方が声を出していることに、「普通に」腹を立てて怒ってしまうなんて、心が狭すぎると思いませんか。
あくまで平静を保って、じっと車窓に流れる景色を見ていればいいんです。
こういうのってなんか嫌な気分ですね。
自分がなんの障害もなく、なんの不自由もなく暮らせているのは当たり前じゃないですよね。
自分だってあのように声を出していたかもしれない・・
あの男性になり代わることは不可能にしても、思い遣る少しばかりの気持ちがあってもいいのではないでしょうか?
赤ん坊がわんわん泣きだしたら?どんな反応をしますか?
同じようなシチュエーションで、電車の中で乳飲み子や1~2歳ぐらいの子供を抱えてお母さんを見ることも多いですね。
そのぐらいの歳の子供ってまだ分別がつかないし、ギャンギャン泣き出したり、意味不明にグズりまくることが多々ありますよねぇ。
この前も電車の中でそういった光景を目にしたんですが、赤ん坊がギャンギャン泣き出してしまって、お母さんがオロオロとしてる場面に出くわしました。
わたしはいつも通り、一瞥もくれず、素知らぬ顔でスマホ画面を見ていたのですが、たまたま隣にいた中年女性の顔が目に入ったのですが、見ると
ギャンギャン泣いてる赤ん坊とお母さんのほうを実にイヤ~な感じでギロッと見ているわけです!
わたしはそれを見て、はぁ??と思いました。
赤ん坊は泣くもんだし、耳で聞いて泣いてることはすぐわかるでしょ。
あえてギロッと視線を送る必要ってある???
まったくないですよね!
これがまた子供を育てたことがあるであろう「おばさま」で、一緒にその車中に居合わせていた「おっさん」は意外と赤ん坊がいくら泣こうが顔色一つ変えず、「しら~んぷり」しています。
あえて視線すら送らず顔色ひとつ変えず「しら~ぷり」しておく。これが最低限のマナーってもんでしょう!!
まとめ
わたしはキリスト教徒ではありませんが、聖書には「主よ、彼らを許したまえ。彼らはそのなせることをしらざればなり」という一節があるそうです。
つまり、「良くない行いをしてしまうのは、自分が何をやっているのかをわかっていないから」という内容です。
わたし自身も体験した気遣いのない人たちに怒りを覚えてしまいましたが、無意識に他人を傷つける行動を取っている人というのは自分が何をやっているかということがわかってないんだと思います(わかってやってたら相当の悪人ですが)。
積極的に立場の弱い人を助けるというのはもちろんいいことですし、駅の階段でベビーカーを持ち上げようとしているお母さんがいたら声をかけるという風に「いざという時」に良心を発揮するのでもいいと思います。
人間、自分ひとりでは何もできません。自分のことばっかり考えないで、少しだけ他人を思い遣る気持ち、持っていたいですよね!
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