みなさん、どうも僕です。
先日、百貨店でダダッ子を見ました。お母さんに精一杯声を振り絞って訴えてるわけですよ。
「イヤだ、イヤだ、アレ買ってくれなきゃヤダ!!」
いや~、ダダをこねられてるお母さんには失礼ですが
素直に自分の思いをストレートに表現できる子供って、ちょっとうらやましいなぁ
そう思ってしまいました。
40過ぎのわたしが道端で
「イヤだ、イヤだ!土地付きの一戸建ての家、買ってくれなきゃヤダ!!」
ってやったらどうでしょうねぇ・・。
イタいの通り越して、ヤバーイっすよねぇ・・。
ま、それは冗談として、大人になるって年を取るにつれて強くならなきゃいけないのに、なーんか臆病になっていく、「ボールを置きに行く」っていうんですか。パワーダウンしちゃう・・。
なんか日常生活に忙殺されて、当初の「ゴール地点」が曖昧になってるような気が・・。
コレ、ちょっとマズイなって思ってます。
人が夢や希望を実現できない阻害要因ってなんなの??
今日はそんなお話。
Contents
秦基博の「鱗」に出てくるウロコって何?
40代のおっさんがなんでそんな心境に至ったかってこと、みなさんすんごく聞きたいと思いますので、教えてあげますね!エヘ!(*´∀`*)
わたしが営業周りの仕事で車に乗っているときに必ずかける音楽ってのがあるんですよ。
そう、秦基博の「鱗」(うろこ)って曲です。
高速道路に載ったら、車の中ですんごい大声で歌うわけですよ。たまーに並走している車の運転手と目が合うと気まずいんですけどね。
この曲のどこにしびれるのかっていうのは次のような歌詞の部分!
君に今 会いたいんだ 会いに行くよ たとえ どんな痛みが ほら 押し寄せても
鱗のように 身にまとったものは捨てて
泳いでいけ 君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ
愛する人のもとへ、建前、恥や外聞もかなぐり捨てて、飛び込んでいくよ~!!っていうストレートな想いを表現した素晴らしい曲なんですよねぇ。
ここに書いてある鱗(うろこ)ってのはそういった建前だとか、本来の自分の感情を押し隠す無駄なものってこと。
でも大人になるとどんどん、「鱗」を無意識なうちに身にまとってしまう・・
自己防衛のため??自分に対する言い訳??
年を取ると、要らんもんなのにどんどん付いちゃいますねぇ。おなかの脂肪とおんなじでね。
夢や目標の実現を阻止してるのは無意味な定義付けと分類化かも?!
すんごい昔、20年ほど前だったと思いますが、元祖イケメン作家の中谷彰宏氏がテレビに出演していた時に語っていた話。当人は根っからの大阪人なんですが
「大阪人ってねぇ、最初のデートで必ずお好み焼き屋に行くんですよ!!」
って意気揚々と言うんですね。
僕はテレビに向かって「ウソつけー!!!」って思いっきりツッコミを入れてやりました。
だってね、大阪人=お好み焼きって・・プ、プ、プ(〃艸〃)
たしかに大阪人はみんなお好み焼きが好きだけど、最初のデートでみんながみんな、お好み焼き屋に絶対行くかって言ったら違うだろ、と。
なにか、人って、「これはこういうものだろ!間違いない!」って感じで、分類分け、定義付け、カテゴライズしたがりなんですよね。
B型の人間は空気が読めない!そうでしょ?!
(聞いてる人も「そうそう、あるある」みたいな反応・・)
日本人は勤勉で、ブラジル人は勤勉じゃない!
(そうだよねぇ、だから失業率高いのねぇ、みたいね) かんけーねーわ、経済の問題だろうが・・カルロス・ゴーンが怒るぞ
そういう風に勝手に型にはめて
イメージ通りだよねぇって頭で理解したつもりになって
それがどんどん積もり積もって
自分自身が身動き取れなくなる原因になってるつーことに気づかない・・
ムダな「鱗」わんさか体に付いちゃってますけど!
自分の「物差し」、「尺度」を疑ってみる
大人って子供と比べて、人生経験も豊富だし、勉強して知識も持ってるから、
これは正しいよね、悪いよねって推し量る自分なりの「物差し」、「尺度」ってあると思うんですね。
でもこの「物差し」ってほんとに正確なのか、合ってるのか、わかったもんじゃないですよ!
その「物差し」、ほんとに正しいか証明してよ!!って言われて、なんのためらいもなく
「合っとるわ!!ボケ!」って言えますか?
自分の尺度の正しさを証明できる「物差しの物差し」、「定規の定規」があれば良いですけどねぇ・・わたしは自信ないっス。
だってねぇ、今なら太陽の周りを地球が回ってることが証明されてますが、大昔は
天(宇宙)が地球の周りを回ってる
ってことになってたんですから!いわゆる「天動説」と「地動説」の違いですね。
地動説を主張したガリレオ・ガリレイは当時相当な批判を受け異端児扱いされてしまいましたが、これも当時は「天動説が当たり前」というスタンダード、物差しがあったから。
われわれの物差しもどうでしょう?
親や学校から「これはこういうもんだ」と刷り込まれた知識・感覚、テレビなどメディアによる情報操作、これまで生きてきた環境・人間関係によって生成された「思い込み」に近い「常識」・・・
結構いいかげんなもので、「この物差し、死ぬまで信じていいの??」っていう頼りないものじゃないですか??
タガは外して、自分の心の声に耳を傾けよう!きっと夢は叶う!
なんかね、思うんですけど、みんな幸せになる権利って生まれてきた以上はあるんですよ。
でもね、それを阻害してるのが他人や不可抗力ならいざ知らず
自分自身だったりしたらもったいなくないですか?
最近、読んだコチラのブログがちょっと気になりました。
「ピクニック365カフェ」という日々子育てに頑張るママと子供が楽しめるカフェを運営されてらっしゃる方のブログです。
「難しいんじゃないの?」っていう外野の声に耳を貸さず、どんどん「夢の実現」に向かって頑張ってる超パワフルな女性です。
この記事の中で引用されているSK-Ⅱの動画も見てほしいのですが、大人だって夢は語れるはずなのに、「夢はなに??」って聞かれても、なにかスッと出てこないんですよね。
だけど、ヘンな思い込みや偏見のない子供に「夢を語ってよ」って言われたら
最初は戸惑いながらも出るわ、出るわ!あるじゃんよー!って感じ。
(この辺りは動画を参照ください)
大人が夢がないなんてとんでもない!
無意味な先入観やあてにならない「物差し」に目隠しされてるだけ!
そういうことじゃないですか?!
「Drem Again」・・・
先ほどのSK-Ⅱの動画のタイトルでもあります。ちょっと素直になって、スタートに立ち返って
「ほんまにやりたいことはなんなのか?」
「自分の夢ってなんだっけ?」
自分自身に問いかけてみてもいいはず!
誰にも怒られないから、もう一回夢見てもエエんちゃいますか?
まとめ
子供の時にあれだけ怖かった暗闇が今ではなんてこともないんだけど、大人になった今、なんか違うものに怯えているみたい。実体がないものを怖がってるのは大人になった今も同じ。
無意識に自分自身にはめてしまったタガやムダ・無意味な先入観を取り除けば、最後に残るのは自分の本音、本心・・夢。
心だけは自由にありたい・・だったら余計なものは取り去って、自分自身に向き合えば、見えにくかった「本当の自分」に出会えるかもしれませんよ!
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