育ち盛りのお子さんをお持ちのみなさん、どうも僕です。
小学生ぐらいの年代の子供がいらっしゃれば、一度は聞かれたことはあるであろう「質問」って
勉強って何のためにやるの?
勉強って何の役に立つの?
よく聞かれますよね~!
でも、子供に素朴にそう聞かれたら、
あなたはどう答えますか???的確に答えられますか???
今日はそういった勉強する意義についての話題を少し語ってみたいと思います。
Contents
「勉強」と「学習」の違いって??やる気スイッチはどこにある?
同じようなニュアンスを持った言葉だけど、勉強と学習ってよく混同しがちじゃないですか?
でも、コレって似て非なる言葉ですよね。
学習って、文字通りでいけば
学(まな)んで習(なら)う。
これは人間が成長していく過程の中で何らかの糧となるものを学んだり、経験を積んでいくことで自分の中の資産としていくこと。
だから学習って学校の中にいようが、大人になろうが、ずっと学習の機会や必要性はあるわけでね。
さらにいえば、動物だって経験したことをもとに行動を変えていくことを「学習する」と言いますから、人間以外にもあてはまる言葉で、学習が結構適用される対象は広いですね。
「生涯学習」なんて言葉もある・・つまり学習の対象は学問のみならず人生にまつわるすべてのこと・・と言って差し支えないでしょう。
で、一方の「勉強」。
これが意外とクセがある言葉で・・
勉強ってね、字を見てくださいよ
勉(つと)め強(し)いる
字からしても本人(子供)が好き好んでやるというよりは、どちらかというと
嫌々やる・・
そんな感じですよね!
気が進まないことだけど、将来のために学問を習得しておく・・
そう、気の進まないことであり、勉強の対象は「学問」です!
動物は学習はしても学問はしません。人間だけが行うんです。
「生涯学習」はあっても、「生涯勉強」はない・・いや、あってもいいんでしょうが、少なくとも言葉としてはありません。
なんで勉強やんないといけねーの!
大人はやらなくていいね、勉強!
強いられてやる学び・・子供たちが拒否反応を起こすのもちょっとわかる気がしますね〜。
勉強は子供にやらせる意味合いを十分に伝えて腹落ちさせないと、やる気が起きないってのはココなんですよね。
勉強をするのは「お金儲けをするため」と考えるのが間違い!
人間が成長していく中でいろんなことを学んでいかないといけません、たいていの人の中でもそこに異論はないとは思うんですよね。
つまり生きていく様々な術(すべ)を学ぶこと、すなわち学習ですよね。
人間関係を学んだり、社会のルールを学んだり、礼儀作法を学んだり、当然学問を学ぶこと、いわゆる勉強だってココに入ってきます。
言ってみれば勉強ってのは大きな「学習」のくくりの中の一部分ですよね。
もちろん、勉強ってテレビを見たりゲームをしたりするように面白くもないだろうし楽でもない。
だからこそ、拒否反応が出てしまうんだろうと思うんですけど。
ま、そんな子供が嫌がる勉強ですけども、大人になってみたらわかるかも知れませんけど、見方を変えれば
勉強って究極の「趣味」だと思いません??
趣味って生きていくうえで一見不必要なことをやったり、生活とは無関係の完全に自分本位の時間じゃないですか。
大人になったらさんざんお金儲けのためにやる仕事に忙殺されるわけですから、勉強やれてる時間ってのは、それとは対比的な、「ムダ」なことばかり学べる、メッチャ贅沢な時間なんですよ!
あれこれ、ムダとも思えるいろんな勉強が将来的にスゴい価値を持つ・・勉強ってホントは素晴らしいことなのに。
でも実際の日本の勉強に対するイメージって
勉強=有名大学に入るため=大企業に入って高い収入を得るため!
子供にはこんな図式に見えちゃってるんじゃないですかね〜。
だから子供って勉強をしないための屁理屈をこねるんですよ、こんな風に!
とかね!
でもコレって言い方を変えれば・・
本当はそう言いたいのかもしれませんね~。
でも、そこに気付けないのは、子供のやる気の問題というよりは、勉強がもたらしてくれる喜びなり、意味合いを親としてどう伝えるかっていうところがむしろ重要な問題なんじゃないですかね〜。
能楽師となった友人を支えた勉強の存在
僕の同級生に一家全員が能楽師をやっている先祖代々からの能楽一家の友人がいます。
学生時代から稽古もしていましたし、おそらく将来は能をやろうと思っていたようですが、彼はかなり勉強ができるタイプでした。
一時期は別の道も考えたようでしたが、結局迷いもなくなり能をやっていこうと決断しましたが、一応大学だけは行っておこうと進学。
「別に大学行かなくてもいいんだけどね」とよく言っていたようにあまり受験勉強をしている風ではなかったのですが、世間では難関と呼ばれる大学に進学しました。
その彼は現在能楽師として地位を確立している一方、高校などで能や芸術についての講義をおこなう「先生」としての仕事も行っています。
彼は元々能楽一家に育ち、その道に進むことをあらかじめわかっていたわけですから、必ずしも勉強をやらなくても十分「食っていける」はずですが、能楽の稽古と平行して勉強もそれなりにやってたいたようです。
その勉強があって大学に行って更なる知識を得た経験、素地が、学校で講義をするという機会を与えてくれたという見方もできると思います。
もしかしたら、能の稽古だけやっていたんじゃ、生徒を教えるという仕事は回ってこなかったかもしれませんね。
能楽師の彼のケースだけでなく、何が後になって役に立つか、これはなかなかカンタンにわかるもんじゃありません。
だけど、後々になって「あの時勉強しておいて良かった!」そう思える瞬間は誰しも感じることはあるはずです。
勉強はやるのは「自分がなりたいものになるため」「自己実現のため」
能楽師の友人のようにある程度、将来何をやるかという見通しが立っている人は、最短距離の学習、将来のやりたい事に直接繋がる勉強をやるのもいいかもしれません。
でも、普通の人は大人に近づくにつれて、徐々にぼんやりと「こんなことをやりたい」「あんな仕事をしたい」というイメージが出来上がることがほとんどで、早くから自分の大人になったときのあるべき姿を言える人って少ないと思います。
小学生に夢を語らせたらどうでしょうか。
- プロ野球選手になりたい
- 歌手になりたい
- ユーチューバーになりたい
あんな夢、こんな夢が出てきます。
な~んとなく、漠然と思い描いてた夢も、大人に近づくにつれて、今度は実際にそれを実現させよう!という段階に入っていきます。
しかしながらですよ
ようやく本当の夢が見つかって、「さぁなりたい自分になろう」と決意しても、その時に必要な能力を兼ね備えていないと残念ながらその夢は実現できませんよ!
野球選手になりたいなら体育で習った体を鍛える方法やチーム戦略を学ぶべきで
歌手になりたいなら、音楽で習った表現能力、歌唱力を活かすべきで
ユーチューバーになるのであれば、人前でしゃべることのできる能力、国語で学んだ語彙力を活用できるでしょう!
あなたがたった3歳の時点でユーチューバー以外にはならない!と先が見通せているなら、全てムダな勉強を切り捨てて、ユーチューバーになるための勉強だけでOKかもしれませんけどね!
でもね、「やりたいこと」や「なりたい自分」は歳とともに変わりますよ!
だから、学んだことが、いつ、どこで役に立つかわからないから、色んなことを勉強して準備しておくんです!
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勉強を通して知識や経験を積むことは「旅」そのもの!
人生思い通りに行くとは限りません。むしろ想定外のことばかり。
その時に与えられた状況下で、いち早く判断して最良の選択をする必要に迫られますが、頼ることができるのは唯一、自分が学んできた、獲得してきた知識と経験。
その時持ち合せた知識と経験をもとに自分で判断するしかない!
「何」を学ぶのかということも重要ではありますが、ある事柄を学ぶ、勉強することによって会得した思考力、推察力、想定力といった目には見えない知識、能力を学ぶことも実は重要なんです。
いろんなことを学び、経験しておけば、「あ、あそこで学んだことを生かせばいいな!」というヒラメキだって生まれます。
つまり、勉強するってこんなこと!
ある物事を勉強したということは、その分野を「旅」したことに等しい!
勉強を通して、「そこ」へ一度行ったという知識の旅の経験こそが非常に貴重なんです!
「一度学んだことがある」という事実は貴重な経験そのもの!
だって、
大人になってから、また再び「そこ」に行く(知識を取りに行く)には膨大な時間と手間がかかることになりますからね!
だから、子供のうちに勉強を通して「いろんなところ」、つまり勉強の対象となる様々な分野(教科)を学んでおく必要があるということです。
勉強をやるのは何のため?何の役に立つの??と子供に聞かれたら
いざ本当に自分がやりたいことが見つかったときに、すぐにそれを実現できるよう準備しておくため!
と教えてあげればいいと思いますよ。
旅が人生を豊かにしてくれるように、勉強を通して学んだことが、その後の人生の行く先をきっと照らしてくれることでしょう!
まとめ
子供の夢はまさに無限。
でも子供のころからの夢を初志貫徹で実現できる子ってどれだけいるでしょう。
夢そのものが変わる子もいれば、志半ばにして夢破れる子供もいる・・。
自分の夢を掴み取るため、そして別の道を模索したとしてもそれを実現できる力を子供に備えさせるのが親として務めだと思います。
やりたいことを実現させるための素地、それを作るのが学習であり、勉強ではないでしょうか。