映画「沈黙-サイレンス-」を観た感想、あらすじを語ろう!人生の意味を考えさせてくれる名作があった!(一部ネタバレ有り)

みなさん、どうも僕です。

今、話題の映画「沈黙-サイレンス-」を観てまいりましたよ!

出典:沈黙「-サイレンス-」 公式ホームページ

キリスト教弾圧下の長崎に潜入したポルトガルの宣教師の目を通して描かれた映画なんですけど、全編を通して「沈黙」という言葉の意味を否が応でも考えさせてくれる非常に重く、感動的な映画を観させてもらったなぁ~というのが第一印象です。

162分という少し長めの映画ではありますけどね、迫りくる事実とそれをどう受け止めるべきか悩み続けるポルトガル人宣教師の姿は、宗教がどうのこうのという枠組みを超えて、色んなことを考えさせてくれます。

ボク
人間としてどう生きるべきか、生を与えられた意味って何だろう・・

そんな思いで一瞬たりとも目が離せないシーンが次々に押し寄せてきます!

事実をしかと受け止めねば!

そんな思いでひたすら見入ってしまいましたね!

遠藤周作そして、マーティン・スコセッシ監督が伝えたかったものは何か・・そんなことをしっかり噛み締めながら、そして映画を見た時の感動をじっくりと反芻しながらレビューしていきたいと思います。

 

マーティン・スコセッシが28年あたためた奇跡の映画「沈黙-サイレンス-」


この「沈黙-サイレンス-」という映画は遠藤周作による同名の小説がもとになっています。

この映画を撮影した名匠・マーティン・スコセッシ監督は着想からなんと28年もの間構想を練り、ようやく日の目を見た大作です。

配役についても当初のキャスト案から変えられており、この映画で浅野忠信が演じている通詞役は元々渡辺謙が配されていたもののスケジュールの都合で変更となっています。

また、この映画の見どころはキリスト教弾圧化にあった17世紀の日本が舞台ということもあってキャストの大半は日本人俳優となっており、イッセー尾形、浅野忠信、窪塚洋介、加瀬亮など日本を代表する俳優陣が脇を固める豪華な顔ぶれとなっています。

 

「沈黙-サイレンス-」のあらすじ、ストーリー(一部ネタバレあり)


時は江戸時代初期、日本では禁教令が発布され、キリスト教弾圧の波が強まりつつあった。

既に安土桃山時代から日本の民衆を中心に広く、深く浸透しつつあったキリスト教は、重い年貢や貧しい暮らしに困窮する農民たちを中心に心の拠り所として根を生やしていた。

そういった状況は幕府による統制を不安にさせる大きな要因として、キリシタン(切支丹)を見つけ次第ひっ捕らえて、見せしめのごとく、次々に棄教を拒む人々を火あぶりや水責めなど残酷な方法で死に至らしめていた。

 

こういったキリスト教を布教していくには非常に危険な状況の中で、ポルトガルから宣教師として日本に派遣されていたフェレイラ神父の消息が消える。

しかし、実はフェレイラ神父はあろうことか棄教したとの情報が入る。

これを聞いた若き司祭、ロドリゴとガルペはフェレイラ神父の棄教はあり得ないと、神父の救出のためにキリスト教弾圧化にある日本に秘密裏に潜入する。

 

まともに入国するルートのない状況の中で、マカオで日本への案内役として元漁師だというキチジローという男を紹介される。

酒に酔っ払い、だらしのない姿で2人の神父の前にあらわれたキチジローは自分もキリスト教徒であると2人に告げるが、ガルペは信用せず、大きな不安を抱えながらも、他に誰もおらず、この男に命を預けるしかなかった。

このキチジローを頼りにオンボロの船に乗り込んだロドリゴとガルペ。暗闇の中に現れた大地・・なんとかキチジローの手引きで日本に入ることに成功する。

 

2人を待ち受けていたのは山の奥深く、まともに道を通ることもなく、人目を忍んで慎ましくキリスト教を信仰する農民たちであった。

人々は「パードレ(司祭、神父)がやってきた!」と目を輝かせて歓待し、弾圧されていた信仰に一縷の望みを見出すのであった。

 

しかし、そんな山奥深い集落にも長崎奉行、井上筑後守のキリスト教弾圧の魔の手は及ぶ。

キリストの像にツバを吐きかけることを拒否した3人が奉行の役人に捕らえられ、ロドリゴとガルペ、そしてキリスト教を信仰する多くの農民たちの前で3人は海に沈められ、数日間苦しみながら殺される。

 

キリスト教を信仰しているのは日々の苦しい生活に慎ましく生きる農民。

その農民たちの心の平安をもたらした信仰心さえ奪おうとする幕府の体制側。

 

弱き者がなぜこれほどまでに苦しまなければならないのか・・・

これほど苦しむ姿を目の当たりにしながら、なぜ主(神)は沈黙を貫くのか・・

 

映画を通して一貫して訴えかけてくるメッセージ、そしてそれは非常に重く、切実たる真実なのです。

 

「沈黙-サイレンス-」をレビュー!この映画が伝えたかったものは何か?


この映画の登場人物をシンプルに図式化すると、キリスト教を信仰する農民たち、そしてロドリゴとガルペの司祭の「弾圧される側」、それに対峙するのが長崎奉行、つまり「弾圧する側」。

ひっそりと信仰を続ける人々に対し、執拗なまでに弾圧の手を緩めない長崎奉行は見るも残酷な手段で、なおかつ苦しめながら死に追いやります。

「棄教すれば許してやろう」そんな甘い言葉を奉行側の役人は語りますが、骨の髄まで信仰心を持っている人々はそれを頑なにに拒否します。

この世のものとも思えない残酷で目を背けるような処刑シーン・・そんな光景を目の当たりにしてロドリゴは苦悶します。

人々を救済するためにやってきたのに、自分たちの存在が人々を死に追いやっている・・死ねばパライソ(パラダイス)に行けると信じている人々を前にどう対処すべきか悩むロドリゴ。

しかし、こういった弱き者の断末魔の叫びを目の当たりにしていながら、実際にはなんら救いの手を差し伸べない神、沈黙を貫く神・・

 

神よ、どうしてあなたは沈黙を貫くのです??

 

そう心の中で反芻するロドリゴに微かに聞こえる神の声が!

 

沈黙しているのではない、ともに苦しんでいるのだ

 

教えを伝える者として、どのように立ち振る舞うべきか、究極の決断を迫られるロドリゴはもはや司祭かどうかという枠組みを超えて、どう生きるべきか、人生に与えられた意味とは何なのか?と自分自身に問いかけるわたしたちそのものに投影されます。

ボク
人間は運命というひとつのステージの中でもがき苦しみ、常に答えを求め続ける姿は普遍的であり、そういった人間性を克明に描いた映画だと思います。

 

映画「沈黙-サイレンス-」の見どころはココだ!

流暢な英語を話す浅野忠信演じる通詞に注目!

この映画で特徴的なのが豪華な日本人俳優の出演陣。

司祭のロドリゴが長崎奉行に捕まった際の通詞役を演じているのが浅野忠信。

ボク
この浅野忠信がまぁ、ものの見事に流暢な英語を話します!

奉行の役人ですから冷淡かつ悪役チックではあるんですけど、この浅野忠信の演じる通詞はロドリゴと理路整然に日本ではキリスト教が根付かない理由について喧々諤々(けんけんがくがく)やり合います。

一見、人間性が見えづらいイメージですが、奉行側の役人にしてはクレバーな印象で、登場場面も多いことから、この映画のカギを握るキーパーソンであることは間違いないです。

 

ストーリーのカギを握る窪塚洋介演じるキチジロー

とにかく演技にこだわり、場面によっては100回演技を繰り返させたというマーティン・スコセッシ監督にあって、1回の演技でOKを出して撮影スタッフの度肝を抜いたというのが窪塚洋介。

窪塚洋介演じるキチジローは、ロドリゴら司祭を長崎への入国を手助けした人物ですが、自らキリシタンでありながら、信仰が発覚した際も家族が処刑されていながら、自らはキリスト像の踏み絵を踏んで難を逃れるなど、節操のない人間のように描かれています。

何度も奉行に捕まりますが、他の人々は処刑されても、キチジローだけは生き残る・・

ボク
なんだよ、オマエは!

って言いたくなりますけど、そんな彼ですが、そのまま逃げりゃいいものを危険を顧みず、ロドリゴに追いすがって、「パードレ、告解をさせてください!」と懺悔をしに来るシーンが度々出てきます。

家族や仲間を見捨ててるわけですから、正直見ていて当初はイラッとしましたが、何度もロドリゴに懺悔をしに来るというのは、キチジローが弱い人間の象徴であって、これもまた人間の真の姿を描いているのかなぁと思ってしまいました。

 

イッセー尾形演じるちょっとコミカルな長崎奉行・井上筑後守に目が釘付け!

キリシタンをことごとく弾圧し、処刑で首をはねたり逆さ吊りしたり、残虐非道なことをやってのける長崎奉行。

その総元締めがイッセー尾形演じる井上筑後守。

ボク
これほどシリアスな映画なのに、この井上筑後守のセリフ回しやアクションがちょっとコミカルなのがなんともウケるんです!

歳を取っているということもあり、立ち上がる時にお付きの者に腕を引っ張ってもらうシーンや、「なんでそんな話し方なの??」ってツッコミを入れたくなる演技は独特で非常に印象に残ります。

極悪非道になりがちな長崎奉行にあって人間臭さを感じさせるイッセー尾形の演技が絶妙で、なぜかこの映画に華を持たせてくれてるような感すらあります。

ハリウッドでもイッセー尾形の演技はかなり評価されているようで、映画を見に行ったらぜひ彼の演技をチェックしておきましょう!

 

まとめ

歴史上の史実を扱った映画というのは結構ありますけど、この映画は日本という場所や江戸時代という時を超えて、人類にとって極めて普遍的なことを痛烈に訴えかけてくる映画です。

自分にとって譲ることが出来ないものは何なのか、そしてそれが奪われそうになった時にどう振る舞えるだろうか、究極の選択を迫られた時に人間はどのように判断し、何を守るべきか・・そういった多くのことを考えさせ、自分の立ち位置を振り返るきっかけをこの映画は与えてくれているような気がします。

ぜひその目で迫りくる真実と対峙してみてはいかがでしょうか。

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